やりちん、やりまんの存在性を否定する人は仕事ができない率が高い話。建売業者が嫌われても存在は否定されない理由

皆様、こんばんは。

最近、旅行に行くことが決まったので準備している修行僧です。修行僧はツイッターをやっているのですが、面白いツイートを見たのでリツイートしたら大元の方から連絡を頂いたいたので嬉しくてブログに書くことにしました。そのツイートがこちらです。

「やりまんを批判する男は彼女らに解消してもらった射精欲を思い出すべきだし

やりちんを批判する女は彼らによって慰められた夜を思い出すべきべきだ」とツイートがあり私はビジネスに大いに関係があると思いリツイートしました。

そうしましたらツイート本人から「ビジネスにつながらないのですがどうゆうことですか?」ときたのでブログを書くことにしました。

お互い様の「思い」がわからない人は仕事人の間で嫌われる。

皆様は「やりちん」「やりまん」と聞いてどう思いますか?貞操観念が低い、だらしない、とお考えになる人が大半だと思います。だがしかし、だがしかしです。

そういった人たちは批判されるべき人たちですか?

陰口をたたかれる人たちですか?

嘲笑される人たちですか?

答えは明確に「ノー」です!個人的に意味嫌うなら声に出さず、自分で距離を取ればいい話です。

(もちろん法律的に守らないといけないところはありますが、、、。)

それは人それぞれの生き方の問題であり、他人の生き方に「いちいちチャチを入れるやつらほどダセーやつらはいない」です。←個人的な見解です(笑)

他人がどのように生きようと、それで世間が回っているならなんも問題もないし、そこに文句を言いうやつらははっきり言って「ねたみ」「ひがみ」を言っているやつらと変わりありません。ていうかそういうやつらが大半かもしれませんが、、、(笑)

上記のツイートは世間で言う「お互い様だよね」ということを表しているわけです。上記のツイートから「需要と供給」の関係をとても分かりやすく表していて、「商売の肝」を意図せず突いてるツイートです。それを感じ取れないビジネスマンは「にわか」「無神経」「怠慢」の三拍子が揃った人間だと思いますね。

今回はその「お互い様だよね」の気持ちの大事さをやりまん、やりちんの話からします。

不動産業界での例え話

私は不動産業界が直近で働いていた業界なので、不動産業界でたとえ話をすると今回のことで言えば一番近いところは「買い取り業者」です。※買い取り業者が「やりまん」「やりちん」とかそういう話ではないですよ。

不動産業界ではどうしても「建売」の買い取り業者はあまりいい評判はありません。土地の面積に許される範囲で目いっぱい建物を建てたり、土地を安く買いたたいたり、街並みを考えない建築をするなどと言われ、嫌われるわけです。ですがどうしても買い手が付かない土地などに買える値段を提示してくれたりするのは今のご時世では買い取り業者さん(特に飯〇グループ(笑))だったりするわけです。

建売業者はよくも悪くも「最後に砦」であるわけです。ですから悪く言われることはあっても「存在を否定される」ことはないわけです。むしろ存在を否定してしまうと不動産営業マンは出口の見えない戦いをすることになります。

この話は上記のツイートを読んでつながるところがあるとおもいませんか?

私は大いに思いましたし、世間では矛盾した人たちが多いのも事実かと思いました。私自身も矛盾したところを持っていると思いますが、、、。

最後の手段という言葉でひとくくりにしてしまうのはまた別の問題もあると思いますが、少なくとも仕事するうえで「お互いに助けられている」と思えない人間に仕事ができる人間はいないと思います。

世間でいう「やりちん」「やりまん」、不動産でいう「建売業者」は似ている部分が多く、上記のツイートで仕事に関連させて思いをはせられない人は少し想像力に乏しいと私は考えます。

酔っぱらった状態での記事なのでまたあとで加筆、別記事が一本上がるかもしれませんがそのときよろしくお願い申しあげます。